月次アーカイブ: 8月 2016

皆さまもよく御存知の『温故知新』・・・昔の事を良く知り、そこから新しい知識や道理を得る事です。

広辞林には、こう書かれています。『ふるい物事を究めて、新しい知識や見解を得ること』

つまり、ただ単に知るとか、温めるのではなく、「究める!」です。究めないと、新しいことに繫がらない。

論語(為政)には、次のように述べられています。

『子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知らば、以(も)って師と為すべし』

(孔子が言われた。『先人の学問、過去の事柄を研究し、そこから新しい知識を導き出し、現実にふさわしい意義が発見できるようであれば、人の師となることができるだろう』

古きをたずねる傾向のある人は、伝統に固執し頑固になりやすく、新しきを知る傾向のある人は、新奇にはせて時流を追いがちです。古きをたずねる人は、古きにとらわれて、それのみとどまるべきでなく、それによって新しき工夫を凝らさなければならず。また、新しきを知る人は、その新しさが古きに根ざすことを思い起こし、古い過去をたずねることが大事です。

何事も、古い時代の歴史を知るために究めることが大事ですが、現実の流れをよく見極めながら、事を進めることが必要ですね。過去を知る努力を重ねながら、護るものは護り、新しいものを切り開いていきたいものです。

『温故』が『知新』の原因となり、『知新』が『温古』の条件になるように、連続した過去と未来をしっかりと繋げながら進んでいきたいですね。

 

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「自身他身一如と与(とも)んじて平等なり」という空海の言葉があります。

 

人を観る時は その人の心で

草を観る時は その草の心で

花を観る時は その花の心で

生き物を観る時は その生き物の心で観る

 

自身他身が全く同じということでなく、異なった存在がそれぞれの心となり、お互いの在り方を観る。

こうすることで、自身と他身が別ではなく、同一であることを観ずる。

 

智慧の眼を以ち観ずれば、全ては我が師匠なり。

生きとし生けるものの恩感じ、その徳に報いるべし!

 

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歴史の中のシーソー現象は幾つも見受けられます。
その中で誰にもすぐ解るのは「武力・軍事力」によるのと「商業・経済力」によるイニシアティブの争奪の繰り返し現象です。

「世界のリーダーシップはどの国が握るのか」ってなことばかり云々されていますが、それらは二次的な「繰り返し現象」です。それよりも寧ろ大事なのは「何をリーダーシップの目安とするのか」「どのような世界観・価値観を根本のベースに置くのか」と云った「進化する実相世界」に対する認識です。

「繰り返し」は単なる受け身の「現象」です。そして、「進化」は「宇宙の理法」です。「繰り返し」は、時に、「愚かさの象徴」ともいえる・・・。そして、良き形の「進化」は「賢い智慧の証」なのです。

「人の振り見て、我が振り直せ」とか申します。「人類自らの歩んで来た歴史を観て、愚かさを智慧に変えよ!」です(^^♪

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世の中には不思議な神謀りと云う霊的な事も起こります。昭和六十三年八月八日、私は産土会として、世界平和救世大祈願の祭事を奈良生駒山で終え単独で九日、岐阜羽島、円空中観音堂に赴き円空佛を写生中 産土の大神を讃える愛知県大府市 加古藤市なる方と対面する。

その加古殿は、”汝速岐阜羽島に参るべし” の神のみ教えにより来た由をお話しされました。平成元年一月二十九日 加古殿に再び神のみ教えあり ”大喪の礼に 汝に見せるものあり 心して待つべし” と。

即ち加古殿は二月二十四日、テレビの前に座し、大喪の礼を一心に見守る内、画面が突如として純白(まっしろ)に変じるや否やで不思議な神秘的画面が写り始めたのです。大きな驚き感動と共に見入る加古殿の眼には、上部より太陽の光が眩しく光り輝き、片方より月光が淡い光を投げかけ、太陽の光と交叉する遥かに九条の幟(のぼり)がはためき、九体の宇宙の神々がおごそかに煌めく。その下には世界の大天使方、神佛の開祖・教組 古今の聖人方が現れ打ち揃う。その聖団の中より代表の尊き御方が前に出られ、葬場殿にて参拝終えし世界百六十三か国の代表使節一人ひとりと手を握り、神々固い不戦の誓を行う。代表使節は葬場殿より金色に輝くエスカレーターにより雲海の中を誓を終えゆっくり幄舎(あくしゃ)へと進まれる。聖なる太陽と月の光が交叉の位置は武蔵野陵墓地の屋根。その下は葬場殿となり、折しも黄幡(おうばん)・白幡(はくばん)と共に近づく葱華輦(そうかれん)にも、金 銀が散華の如く輝き乍ら降りかかる。それを見守る自衛官は既に銃を放棄しており、一般群衆がそれに続きそれぞれの頭上にも金 銀が優しく降り注ぐ。右下には、神々との誓を破った哀れな姿。核爆の煙は燃え上がり天界を汚して行く。生きとし生けるもの総てが滅び行く大地に黒い雨が呵責なく降りつける。

以上のテレビを見せられた加古殿は、遥かな九条の幟又九体の神、これぞ憲法第九条 神々の平和への御精神であり 深い御思慮の暗示であり、この誓は単なる人間同志 国相互の誓だけでなく、神々と地球人類との固い誓なるぞと気づかされたのです。

その加古殿に神は更に ”汝これを絵とせよ 世界に普遍すべし その絵が津々浦々に普遍がなされた時に地球は救われるであろう” とみ教えが下る。 神の御意志を広く伝える事の重い使命を受けた加古殿は 「私は絵も書も苦手、一体どなたかこの事を絵に仕上げて下さるまいか」と困り案じた時閃いたのは、昨年八月岐阜県羽島円空中観音堂で写生していた男(私)であり、またその時不思議にも遠く広島で石佛を描いている私を霊視出来た事。神の謀りか、その後広島駅で再会、共に平和公園慰霊碑参拝し、不思議なテレビ画面のお話しが私の脳裏に次第に焼き付けられ、煌めく光の神々を表現し得ぬ焦燥に苦しみ乍、絵の構成など無視、只管お話しを忠実に描かせて戴きました。拙い絵でございますが、大御神意(おおみこころ)をこの絵から理解され、不戦の誓と共に広く普遍し、核廃絶世界平和の御光がこの地球の森羅万象の上に輝き渡る日を心の底から願うものでございます。

 

奇しびなる神のみ教えを戴いた方  加古藤市

絵・添え書            熊田良雄

 

 

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神聖画の中央では、昭和天皇が世界の163か国の代表使節のお一人おひとりと握手をされ、不戦の誓いをなさいますお姿は、日本国憲法第一条の天皇の御位いをお示しになりました。向かって左下の自衛隊が銃を置いている姿は、戦争放棄の日本国憲法第九条を現されました。
そして右下の核の戦場は、神の御意志(みこころ)であります九条を改定した時の日本国の無惨な姿で御座います。また左真下の一般民衆ですが、本来ならば正面を向いているはずが、魂が定まらず権力者に都合よく利用されている、現在の我々国民の哀れな姿で御座います。

 

弥勒再下生の理由(わけ)

 

この生命界地球に生命が誕生して以来、幾度かの地殻変動・文明の衰退などがありましても、今日までこうして神の御慈悲により、この生命界は生成繁茂して参りました。
しかし、また人類は神の「知瑠恵(しるめぐみ)」の有難さを忘れて、人間の欲から発する知恵の教育の結果、「知瑠恵」の系譜で創られた人間の六根に狂いが生じ「理(ことわり)」の世界を司る人間の魂が乱れて、植物・動物・人間の生命帯の仕組みが正しく理解出来なくなり、生命界全体の破壊が始まりました。知恵を駆使した化学が造り出した原子爆弾を、神の御意志に背いてついに使用してしまいました。その結果、神と「御難賛助の御誓約(ごなんさんじょのうけい)」をして来ました「初めの国」が受けなければならない憂き目に遭ったので御座いました。なぜならば、人祖が神と決して争い戦いは致さぬ事をお誓いになって、御降臨なさいました「日出ずる丹ノ本(にのもと)」初めの国には、神との約束に背いた時にはその責任として、切腹して神にお詫びする厳しい掟があるからで御座いました。それ故に、次に来るであろう核戦争の危機はどうしても避けねばなりません。それは初めの国が総切腹となって逝くだけでなく、核爆弾は生命の遺伝子を破壊してしまう恐ろしいもので御座います。
神がお与えくださいました生命の免疫所・與謝津(よさかい)・天記津州(あきつしま)の消滅は、全ての生命の根を絶やし生命界の滅亡を意味する事になってしまい、神が何のためにこの生命界を御創造になられたのか、意味そのものが失われてしまうからで御座います。それ故に人祖が神とお誓いされた「御難賛助の御誓約」に従わなけらばなりません。
神は「昭和天皇」に計られて「日本国憲法九条」をもって、初めての国の核爆裂の被害を封印されたので御座いました。生命を生産(うみ)出して育てゆく九氣九神の御神理氣(ごしんりき)の込められた九条で御座います。しかし、昭和天皇が崩御あそばされるや否や、世界を牛耳る大権力者の枠組みの中で速くも公然と憲法九条を排除しようとする動きが出始めたため、ついに平成元年二月二十四日の昭和天皇の大喪の礼に合わせて、弥勒(三六九)再下生をされ賜いたのでありました。

弥勒再下生の聖地

その聖地こそ「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が蝦夷征伐に行くのではなく、愛の産霊(むすび)に行くのですと仰せになられ、「大和魂」を復活された知る事多き「愛の原」にて「大正腑天神(だいしょうぶてんじん)」をお祀りされた「大和魂発症の地」で御座います。この生命界地球に異変危機がある時には、この「愛の原」準貴天原に弥勒さまが下生される事が決められていました。この霊地を所有しておられますのが「加古藤市氏」で御座いました。