月次アーカイブ: 9月 2016

小冊子で「橋」の写真を見てた時のこと・・・

「ハ」と「ハシ」の言霊が響きわたり 天と地のかけ橋がクルクルと私の中で回り神様の柱まで想

いは巡り・・・

いつものことですが、言葉にするとちょっと違ってしまったり 難しいのですが、その時私の中で

クルクルしていたことを言葉にしてみます。

「ハ」というのは延び開く言霊で二つを意味します。

「歯ハ咀ミ切ルナリ」「刀ハ切リワクルナリ」「葉ハノビヒラクナリ」で

「切れ分る也」です(by言霊玄修秘伝)

「橋」といふシは補言なり。ハは二(フタツ)の義にして、両方の端に名をなす。箸といふも、

ハは二本を宰の名にして、シは補言なり。ハは総て、左右上下の両(フタツ)を宰の例。

ハサミ、ハカマ、歯、葉、羽、ハシメ(始)ハナレ(放)(by言霊秘書)

橋の語源は、端(物事の始まる処・尽きるところなど)と同根で、「端と端との間にわたすもの」

です(岩波古語辞典)

庭から堂に登る通路の「はし階(梯)」。

私たち人間は食べ物を体に取り入れてエネルギーを得ます。

そのエネルギーの橋渡しをするのが「箸」。日本人には必要なもので大切な文化でもあります。

御存知のように神話の中にも「橋」はでてきますよね。

伊邪那岐と伊邪那美命が天神(あまつかみ)のみことのりを受け高天原と地上との間にかかる橋で

ある天浮橋(あめのうきはし)にお立ちになり国創りをなされました・・・とあります。

「柱」も「はしハ屋根ト地上トノ間(ハシ)ニアル物ノ意、らハ助辞)」で やはり「ハシ」と

「ラ」です。

「天柱(あめのみはしら)」という言葉もありますが、日本書記にもこの言葉が出てきます。

「是の時、天地相去ること未だ遠からず、故れ天柱(あめのみはしら)を以って天上に(あめ)に

挙(おくりあ)げまつりたまひき」(天照大御神の誕生において あまりにも素晴らしい子供がお

生まれになったので天柱を以って送り上げた・・・という一節)

天と地を繋ぐ橋という観念がとても強くあらわれているような感じがします。

そして 神仏を数える助数詞は「柱」ですよね。

天と地を繋げる光の柱となって地球にいる私たちを見守っていてくださいます。

あちこちの神社に地上の人の国と天上の神の国とを繋ぐ橋がかけられていますが、神様に近づくの

に罪や穢れを祓い清めるという意味があります。

場所によっては福岡県の太宰府のように太鼓橋・平橋・太鼓橋のように三橋かかっているところも

あり、三つの橋を渡ると過去・現在・未来の邪念が祓われると言われているようです。

何かと何かを繋ぐ重要な役割をしている「ハシ」。

人と人を 天と地を ある地とある地を 人と物を・・・

自分もいい「ハシ」になれたらいいなと感じますし、この世の人全てが皆意識の上で仲良く繋がり

植物も動物も神々もみんな繋がりひとつになれたらいいなと思います(*^_^*)

繋げる「ハシ」大切にしたいですね(^^)

 

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人の魂は本来思いやりの心を持つ素直で優しき魂なり

我欲が苦しみ産み出し

素直に生きることを邪魔し

結果 自他共に傷つけること多し

一切の執着持たず

我を張ることなく 素直であれば

ぶつかり合うこともないとわかっていても

素直になることできぬが人の感情の難しきところ

神にも素直に

人にも素直に

己にも素直に

何事にも執着せず 心身共に緩め 素直に生きるは

最高の幸せなり

不平 不満 不幸の原因を己の外に責任転嫁するなかれ

己の我の強さこそ不幸を招くこと悟れよ

 

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そなたたちは 海をどのように思っていらっしゃいますか

海は そなたたちを生かしております

海は たくさんの命を生かしております

海があるから地球が成り立っているのです

空を飛ぶ鳥たちも 生きる為に 広い広い海を渡り命を繋いでいるのです

嵐がこようとも 何かに遮られようとも

生きる為に 飛ぶしかないのです

そなたたちは たくさんのものに恵まれ

たくさんの命をいただき たくさんのことが出来るのです

人間に与えられたものを良きことに使えば 人々の命は繋がれ地球も保たれるのです

地の中が変化しているように

海の中も変化しているのです

それに気づくことです

気づき 動くことです

人には考える事が出来るのです

人には事を変える力もあるのです

どうか祈りを捧げてくだされよ

祈りがどんな力を持っているかわかりますね

祈りで良き方向へ変えくだされよ

人々の意識が この海を この地球を守っていくのですから

 

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天と繋がり生きること

どんな仕事にも 人との繋がりとなるものがるのだぞ

魂で感じた言葉は 考えての言葉とは違い

人の心との暦のようなもの

今という時だけでなく

御魂との関わりとなる

何時間 何日 何カ月 何年という月日の重なりにもなる

些細な言葉のやりとりでも

しっかりと心は通い合う

人を妬まず

人を羨ましく思うことなく

人と心で向き合い

人に接し

人を愛する

人との関わりは 自分の心と関わりの現れ

人のせいにする前に 己を見よ

人のあらを探す前に 己を見よ

人に怒りをぶつける前に 己の心に向き合ってみよ

己の心は見えなくとも

自分の人に対する態度や思い 言葉に現れておる

人には 己の怒り

決して 相手のせいだと責めてはならぬ

人の間違いも その者の生き方である

間違いは 問われた時 話している時に教えるもの

今という時に伝えなければ その者の理解は難しい

生き方は それぞれであり 決して間違いなどどこにもない

その者が選んだ道

いいはずないと思っていても その者の心は喜びを感じていたりするもの

己とは 心の在り方が違うだけ

正しいことも

間違いも 後でわかる

わかった時に どう感じ どう考え どう進むかをまた

悩み 苦しみ 道を見つけるもの

人は皆同じ

人を批判する者 人を見ていないということ

人を受け入れない者 人を尊いと思っていなということ

人を大切に思えない者 人から学びを与えてもらうことに 感謝の思いを持てないということ

人を避けてしまいたいと思う者 人に今の自分を知られたくないということ

人を疎ましく思う者 人の生き方を比べているということ

人に優しく出来ない者 人を下にみているということ

人を査定してしまう者 人より優位になっていたいということ

これらは 全て必要なし

人を尊い

人を大切に思い

人を愛す

それだけである

人は 心を持っている

それは 人のことを考え 人のために行動できるということ

行動も同じ

己をかこい 何かをするより

その姿を見て こんなにも大きく変われるものならと

希望を見せてあげるのです

人にありのまま 自然体の自分を見せることも

人との大切な繋がりなのです

たくさんの人に 生きる喜びを教えてください

最高のひと時を考えてあげなさい

 

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生きているその時間は

この世の全ての物や 見えないものや 心の中にある思いが一瞬一瞬を作っています

何を思うかで一瞬先が決まります

人は自分だけの力というのは 一瞬にも発揮することは出来ません

一瞬一瞬にも 己の力が発揮出来るように

誰もがここには見えない力と重なっているのです

見えない力とは

それぞれの先祖の繋がってきた命と思いと生きていく全ての術を与えられたものです

どんなに辛くとも 人は生きる術を本当は皆 結びとして知っているのです

人は一人では考えていることも

先祖たちからの生きる術を与えられているからこそ

初めて考えつくことも出来るのです

生きているとは こういうことです

生きていることに 不満がある者は

自分の命を繋いできてくれた先祖たちを敬う思いがないのです

先祖は 神と同じですよ

神と同じように 新しい命を与え 命を慈しみ 成長過程に心寄り添い 見守っている

手を貸すことも出来ず ただ見守る

心の中の痛みを察し 自分のことのように心を痛める

体なくとも心では涙を流し

一日一日を大切にと見守っているのです

命は繋がっているのですよ

命とは 体だけでなく 心の奥にある泉です

その命は 決してかれることなく 人としての愛を持っているのです

自分のこの一瞬一瞬を大切にしたいと思うことが

先祖たちの喜びでもあり 更に深く深く愛を与えてもらえることなのです

ここに居るというのは たくさんの命の繋がりありて出来ること

人としての命ならば このことを決して忘れてはならぬ

己は未熟なり

未熟だからこそ 人や動物と出会い 言葉や思いを通わせる

人を見て 我と思うことは

先祖たちの生きる術を教えているから

自分という生命は 命を大切にしていくことで

宇宙の中にも生まれた たったひとつの命だと理解出来よう

これからも 自分を信じ

人を敬い

全てに感謝出来る心を育てよ

憎しみや競争などなくても 人は自分との違いで人を見ておる

この心は必要なし

自分のありのままを認めること

勇気がないことも

よく間違えることも

自分を査定してしまうことも

誰でもあること

それがあるから 己の心を改心出来る

己の行いを改めることが出来る

ここにいてくれて ありがとございます

自らの気づきで 更に大きく成長していくことを願います

人は全て 私の心の中でも生きています

だからこそ 良き人生を歩んで欲しいと思っています

一瞬一瞬は 己の心と行いで作られていきますよ。

神々の思いには

この子は幸せにと願う心があることを忘れないでください

 

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運命とは己の心と行いの結果であると共に

家族やまわりの者たちの思いと行いの結果も繋がっておる

良き心でおれば 良き心の人間の中で心も体も育まれる

人は心がある故

心に毎日の一瞬一瞬を揺り動かされるもの

感情がある故

心の痛み 人の痛みも感じ取れるもの

世の中の流れ 人の心の動きあるからこそ

己にとって 良きもの 合わぬものが出てくる

心に無理せず 己に合わぬもの必要なし

心苦しくなるもの 手放すのみ

体辛くなるもの 無とするのみ

己に厳しくとは

常にあるもの 起こるもの 出会うものに合わせることではない

厳しくとは

己の向き合う必要なものから逃げずに受け入れること

そこから己にとって良き道を歩みだすこと

心痛め 体痛めてまですることではない

人を呪い 人を痛めつけ 優位に立とうとする者多し

人のせいにするために 己の心が苦しくなっておる者多し

心の淋しさを人のせいにせず

心の淋しさを 人との出会いや繋がりに求めているうちは

己の心の中の思いに向き合っておらぬということ

それに気づいて欲しい者多し

どんなに人が心愚かでおることか

人と比べてはならぬのに

必死に人に追いつき 追い越し 優越感を得る

心に落ちる闇もわからずに

どんな優位に立とうとも 人に認められるわけではなく

結果

心の淋しさは 大きく広がるのみ

だから 新たな出会いばかり求め続け

己のことを崇拝してくれる者とばかりと繋がる

なんて 心が愚かであること

それに気づかぬ者多すぎる

人はみな

ただそこに存在する

それだけで 愛を与え 愛を与えておること

どんなに素晴らしいことか

これに気づいて欲しいのみ

心の蓄えは 愛のみで良い

溢れ出るくらいの愛を常に蓄えておるのみ

それが こぼれるほどの笑顔になり

止まらないほどの幸せの笑いとなる

笑いこそ 人の心の愛そのものである

笑って過ごせることが 一番である

今日も たくさんの笑いと笑顔を

 

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人は光

人に光を与え 光を与えられる

人は本来 苔のように慎ましく生きていくもの

水をいただき 水を与える

人が発する光は優しさの愛

人が与える水は恵みの愛

光と水は自らの慈しみの心や恵みでもある

今を生き

今を活かされているのは

愛と恵みを与えられているから

自らを生かし

自らを生きているのは

自分を思う心があるから

もっと自分を大切に思っていいいのです

もっと自分を愛しく思っていいのです

自分に光と水を与えてこそ

人に光と水を与えられる

誰もひとりではありません

自分ひとりの力で生まれてこれたわけでもなく

自分ひとりの力でそこまで大きく育ったわけではありません

たくさんの光と水があったからです

どうか その光と水を永遠に

どうか その光と水を地球にも

どうか 自分を大切に

どうか 人を大切に

どうか 動物を大切に

どうか 自然を大切に

どうか 光と水を与えている地球を大切に

光は決して消えません

流れている水はいつも清らかですよ

それは あなたの中に流れる愛が滞る事なく流れ続けているから

あなたが生きているから

あなたの光 永遠なり

あなたの水 永遠なり

 

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「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」 山口誓子

お彼岸・・・インドや中国や東南アジアでは春分の日や秋分の日に先祖のお墓まいりをするという習慣はありません。つまり、お彼岸というのは仏教の行事ではなく日本だけのもの。

日本はもともと農業を大切にしている国で農業が中心でしたから、お米を作る日本人にとって太陽ほど重要なものはないです。だから、昔から太陽に対する信仰があって、「今日も太陽が東から昇って西に沈みますように・・・そして太陽のめぐり合わせで春夏秋冬がきちんと訪れますよ〜に!」とお祈りしてました。そして、太陽が真東から昇り、真西に沈む春分と秋分はとても大切とされいて、その日をはさんで、前後3日間は太陽をお祀りする習慣があったそうです。だから、昔は、仏教行事ではなく農業のための神事だったということなのです。

仏教では極楽浄土は西方にあると言います。真西に太陽が沈み、その先に浄土がある・・・と考えて、先祖の供養をするようになりました。 お彼岸はご先祖様だけでなく太陽に感謝しお祈りできるといいですね。でも、本当はお彼岸だけお祈りするのではなく、毎日、常に太陽にも先祖にも周りの方々にも神々にも感謝の心を持って日々すごしたいですよね!

そして

お彼岸には、やはり ぼたもち&おはぎです(^.^)
ばたもちとおはぎの違いはご存知ですか?
春のお彼岸・・・ぼたもち
秋のお彼岸・・・おはぎ
何が違うのか?というと、こしあんか粒あんかの違い。
小豆の種まきの時期が4~6月で収穫が9~11月。 春のお彼岸まで保存していた小豆は皮が固くなるので、皮を取り外してこしあんにし、秋のお彼岸は、新鮮で皮も柔らかなので粒あんとして食べるのです。

ぼたもちやおはぎが何故お彼岸に食べられるようになったのかは・・・小豆は、元々中国で漢方薬として使われていたそうですが、それが江戸時代に日本に入ってきたそうです。その当時、砂糖も高級品。そして、昔から赤い色というのは魔除け効果があると信じられていたので、小豆は邪気を払うという意味で、御先祖供養として大切な日にお供えしたり大切な人への食べ物として作られていたそうです。

お米とあんこの二つのものを合わせることで、御先祖様と「心」と「心」を合わせるという意味もあるようです。
お彼岸だけでなく毎日御先祖様と心を合わせ感謝の想いを伝え共に生きることができるといいと思いますが、お彼岸という節目の日におはぎをお供えして、心を合わせ感謝の想いをお伝えできるといいですね(^.^)

赤色の効果ということで、おめでたい時のお赤飯についても記しておきます。

『和の知恵(by 藤野紘)』から

米というと、一般的には真っ白い白米を想起する。しかし、現代まで受け継がれてきた伝統的な米がもうひとつある。赤飯である。日本では、めでたい席などに臨む際、いまでも赤飯を炊いてお祝いする習慣がある。結婚式や出産祝い、七五三といったお祝い事には、赤飯は欠かせない。赤飯は、白米をわざわざ小豆といっしょに炊いて赤く染めている。赤は、日本人にとってはとても縁起のよい色だった。真っ赤に燃える太陽をイメージさせ、燃えるような気分になったり、幸福感を感じていた。そのため、赤色のものは魔除けになると、いつしか日本人のあいだで信じられるようになった。小豆と合体させて米を赤く染めることは、幸福を招き、縁起がよいとされたのである。しかし、赤飯をつくるのは魔除けの意味だけではない。日本人は、米は白いと常識的に思っているが、世界の米を調べてみると、米は大きくふたつの種類に分けられる。おなじみの丸くて白いジャポニカ種と、熱帯で穫れる長くて赤いインディカ種だ。縄文時代に日本にはじめて渡来してきた米は、このインディカ種とジャポニカ種の中間で、「赤米」とよばれるすこし赤みを帯びていたものだったという。この赤米は、豊臣秀吉がこの世を去るころまで、日本人のあいだで食されていた。こうした歴史の経緯から、日本人は赤い米に特別な思い入れをするようになった。日本の土地を守り、耕し、歴史を築き上げてきた先人たちが食べていた赤い米は、脈脈とつづいてきた日本の歴史を受け継ぐ食物なのだという気持ちである。儀式やお祭りを執り行うときには、古代の人たちが食べた赤米を食べて、古きよき時代を演出する。つまり、小豆を使って白米を赤くするのは、古代の色を再現しようという和の知恵だったのである。
おめでたいときに赤飯を食べるのは、縁起のよい色の米を食べてお祝いするだけでなく、信仰的な意味合いから、古代を演出して、古き良き時代を懐かしむ、われわれの祖先に感謝するという意味がこめられていたのである。(抜粋終了)

お赤飯の印象が変わりましたか?私たちの御先祖様への感謝の意味が含まれているのです(・。・)
お赤飯を食べる時、お祝いの気持ち そして 御先祖様、日本を支えてきて下さった全ての方々に感謝していただきましょうね。

今日は、おはぎをお供えし、御先祖様と一緒に秋の一日を楽しみたいと思います♪(^.^)おはぎ、楽しみ♪♪♪私、粒あんが好き(*^_^*)

 

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文明の発展と共に失いし感謝の心

人は金銭 食べ物 物質に満たされし時

更に多くを望む心湧き起る

なれど 災害などで被害を受け全てを失いし時

人は命あることのみに感謝し 命あることこそ

最高の幸せであること悟る

人は多くに満たされるほど 執着 こだわり 強くなり

物を粗末に扱い感謝の心も薄くなる

地球が抱える問題は 人間の我欲で起こりし事

次第に強まる立て替え立て直しの現象

地球破壊をくい止めるのも人間次第

一人ひとりが心の奥の神性呼び起こし

それぞれの役割自覚し全力を尽くすことを願う

人間の我欲で自然 宇宙の循環 運行も乱され

今地球は瀕死の状態なり

今の地球の瀕死の姿こそ 人間の姿なり

自然循環乱し地球を破壊する罪は重きものと心得よ

地上の穢れ 人間の魂の穢れ 祓わねばもう未来は無し

地球の問題 人智で解決為すこと可能なり

未来の子孫の為に祈れよ 人よ

未来の地球の為に動けよ 人よ

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「トシ」の語源は「穀物を意味した語トシの転義。穀物の実りは1年を周期としたところから」(日本語源大辞典)実りを意味していて、「稔」=「トシ」「ミノル」とあててました。日本では普通、稲は1年に1度実るから、昔は 稲の実りを意味していたようです。その「とし」が1年の単位を表す言葉へと変化していったようです。

「歳神様」は稲の神様であり、実りをもたらす神様です。歳神様の力が宿る「お年玉」は実りの力、霊力を示す言葉です。東北では、お正月に作る丸餅のことは「年玉」と言われているようです。「年玉」は歳神様にお供えするお餅で、そのお餅をいただくことで神様の恩頼(みたまのふゆ)をいただき、無事に1年を過ごすことができるという信仰です。歳神様の代理となる方、つまりその家の長から「お年玉」をいただくという習慣。歳神様からの霊力をいただくのが「お年玉」です。語源辞典にも載っていますが、お年玉が金銭になったのは最近のことのようです。お年玉の本当の意味、今、失われてしまってますよね。残念です。

「トシ」=「稔」=「神様の実りの霊力」=「年」

溢れるほどの神の恵みの中で積み重ねていく「年」。与えられている毎日の一瞬一瞬が宝です。

 

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