月次アーカイブ: 9月 2016

よく聞けよ

これからの世 甘くはない

様々な災害は 世の為 人の為

気づかぬ民たち

いつまで目をつぶる

いつまで耳を塞ぐ

いい加減 目を覚ませ

生きていくなら 意識を変えよ

人は人

己は己

人の流れ 世の流れに身を任せていては 何も変わらぬ

生きていく為の最善 最短な道を考えよ

ただ危機を感じ 恐れるだけでは難を呼ぶだけ

難を避ける 難をなくすすべを与えてあるぞ

この世の民たちのせいで 動物や自然の命を奪うのか

それがいずれそなたたちに返るのだぞ

世の仕組み 理解せよ

今更の出来事

今更の思いが

後悔するぞ

時は進んでおること忘れるでない

時は待たぬ

時はすでに遅しとならぬよう

肝に銘じよ

 

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私は そなたたちを守るもの

そなたたちは ひとつの光から生まれ 散らばり生きています

そなたたちの命は神と同じ

だから 命は神 との教えもあるのです

自分を取り繕い 仮の姿を見せているだけ

愛に溢れるものであれば

手がなかろうと 足がなかろうと 病をかかえていようとも

その姿は 光輝いているもの

そなたたちが光輝く為には

人を認めることです

自分を認めることです

人を 動物を 自然を 愛おしいと思うことです

自分が生かされていることに気づくことです

そなたたちの未来が 光で溢れているようにと見ています

 

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腐った根に

いくら水を与えようとも無駄なもの

しかし奇跡は起きる

根は何本もある

その中の小さな根は

腐らずにいるもの

それが息を吹き返す

人も同じ

無駄なことはない

どんなものにも小さな心の根は残っている

いつか芽吹く時が来る

いつか花を咲かす時が来る

無駄なことは何もない

信じて与え続ければ

実もなるもの

与えよ

光となり与えよ

出口の先がわからぬものの

出口の先の光となれ

 

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この世は人の現れ

人の全てが この世の出来事にあいなり

慎みたまえ

自然をおろそかにし 自然を奪い それが人の為となるものか

よくよく考えてくだされよ

海を汚し 汚した海で楽しむべからず

山を汚し 汚した山で楽しむべからず

川を汚し 汚した川で楽しむべからず

動物をいたぶり 何を欲しているのか

自分の欲だけの為なら それが自分に返ること わからぬのか

欲は消えず 繰り返す

人は 自然にも愛されていることに気づきなさい

人は動物にも愛されていることに気づきなさい

あなたたちを恨み そこにいるわけではないのです

ただ あなたたちと共にそこに共存しているだけ

命というものがどれだけこの世にあるのかわからぬのか

自分の命が大切ならば

自然をもっと慈しみ 共に生きよ

自然も共にいること忘れるでない

 

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われ思うに

人々は 神に頼み事がある時にだけ神に近づき 神に頼る

叶えて欲しいと 幾つも頼む

どれも自我の願いばかり

人への祈り 地球を思う祈りがありて

自我の祈りがあろうのに

人の幸、喜びが

己の幸、喜びになることを何故望まぬ

気づけよ

幸多きものを望むなら

まずは人 地球への祈り 先にすべし

そうなりて 神も動くというもの

これからの世 わかっておるか

生きていく為に何をすべきか

わかる時が 後の祭りとならぬよう

意を改めよ

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「戒めを守護する」事を「権利を所有する」とはき違える「浅はかさ」。

人間のする間違いに、御決まりのパターンがあります。

神が必然を説く時の言葉を、聞き間違えるのです。

神は「~なる者は、~ねばならない」と説かれます。

それは、神の世界から必然を示す時の言葉です。

「~であると、~に必ずなる」と云う「必然の言」です。

「箴言(しんげん)」つまり、「戒めの言葉」です。

神の理法に於いて「例外なく、悉(ことごと)くそうなる」というのです。

「もし~ならば、ねばならない」とは言っても、その必然の行為を示し為すのは、神であり、

自然であり、宇宙なのです。

人間に「その必然の行為の代行者たれ」とは言っていないのです。

我々に権利が委ねられたのではないのです。

神の下僕として申し渡された「箴言」を取り違え、代わって遂行する権利を委譲されたかの如く勘

違いするのです。

そして、次にはのぼせ上がります。

一度「権利の代行者」となると「権利の所有者」に代わってきます

どんな「権利」も決して「代行して所有」されるものであってはならないのです。

これとよく似た現象が、やたら多く見られます。

特に「下僕」を「公僕」と置き換えると、誰でもピンと来るでしょう。

「公僕」「公務員」「役人」「代議士」「役職者」「~長」「~先生」「~官」・・・など。

彼らの中には「権利の所有者」たる面相をしている方がいますが、もともとは「箴言の守護者」

であることを忘れてしまっているのです。

「権利の所有者」という威圧的でポジティブな立場でなく、「箴言の守護者」という謙虚でネガ

ティブな「知者・賢者」の存在なのです。

「すべて我の力に非(あら)ず、この世の理法に従う智慧の遂行者」「知者・賢者」なのです。

「一切の奢りは身を滅ぼすばかりか、世を滅ぼす」のです。

それこそが、まさに凡ゆる、「箴言」に共通する「神の定めた条件」であり

「この世の理法」なのです。

 

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神羅万象全ては元ひとつ

己は宇宙の一部なり

一体なれぬは 己と他とを分離する意識・我欲・邪氣が邪魔する故

今全ての人が試されし時なり

厳しき時なれど 清き魂なれば 神の御加護厚く護られん

己の中の毒を排出し 正食心がけ 周りを清浄な環境に整え

心身共に緩め 氣の流れを整えねばならぬ

家にはよざるものを持ち込まず 部屋を綺麗に保ち 風通し良くするなれば

魔も寄せ付けず 邪氣も取れ 心身も穏やかになり 緩みゆく

固き心と体は負に傾きやすく病も引き寄せん

己の心身浄化し緩めることこそ 神と通じ一体となる事

己の本来の能力最大限に発揮する事 悟るがよい

 

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