大喪の礼の日の出来事

愛知県大府市にお住まいの加古藤市氏が、還暦をお迎えになったある日の事、白衣の女神さまが(初代・伊邪那身命)が突如お出ましになり、昭和天皇の大喪の礼の日に見せたいものがあるので、心して待つようにとの御詞がありました。

そして、大喪の礼の日・・・

『日頃神仏の存在について、何の特別の関心があった訳でもない私に、平成元年二月二十四日、昭和天皇の大喪の礼を、NHKのテレビ放送を通して一心にお見送をさせて頂いていました私の目に、テレビの画像が一瞬真っ白になり、続いて映し始めた映像が、何とも荘厳華麗にして、然も厳粛な神秘を称え満ち溢れる映像に、得も言われぬ美しさに織りなされ、重々しく映し出され移り変わり行く光景お姿は眩く、只々見惚れるばかりでございました。
ところが何んの音声も説明もなく、只々見惚れているばかりで意味不明で何もわからず、従って私はNHKに電話していました。
私は、テレビに映された光景を、一生懸命に話したのですが通じず、
「どう言うことですか・・・。今一度詳しく話してください」との言葉に丁寧に説明したのですが、通じ合わす事は出来ませんでした。
「そう言う放送はしていないので、それは貴方の幻覚が幻でも見られたのでは有りませんか・・・」と言われ、電話を切るに至っていました。
確りと此の目にしたテレビの映像だけが瞼に焼き付けられていて、何度も想い出し直してみるのでしたが、やはり意味不明で、神神しさの中に何度も繰り返し想い浮かべているうちに寝入っていました。
その私が再び夢の中に、あの荘厳華麗な尊姿の光景を見入っている私の耳に、何んと厳かな優しく綺麗な声の説明を聞く事が出来、深く深く理解する事が出来たのでしたが、最後のお言葉に、
「汝この光景を絵と為し広く世界に普遍せよ」との仰せに私は驚き思わず大声を上げ、
「駄目です、私は絵が描けませんのでお赦し下さい」と叫んだ自分の声に吃驚し、目が覚めていました。
それ以降、絵の描けない私に代わり描いて下さるお方を尋ね歩きだしていました。そして神が夢の中に知らせて下さったお方が、広島県観音新町にお住まいの、熊田良雄画伯でございました。』

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