熊田画伯との出会い

平成元年三月二十四日の真夜中に、熊田画伯が広島の自宅で、杵築(うすき)の磨崖仏(まがいぶつ)を描いているお姿を、夢の中に見ていた私(加古藤市)は、
「何です熊田さん、一年前に岐阜県羽島市にある円空上人誕生の地、羽島市上中町中の観音堂に出会った時に、貴方は、絵を描く事は止めにして、暫く彫刻に専念すると言われていましたね。それが絵を描いているのですね・・・其れなれば私も描いて頂かねばならぬ絵があるのです」と、口走った瞬間に夢から覚めていました。
そして熊田様と初めて出会った、円空上人誕生の地、中の観音堂での不思議な出来事を想い出していました。
そして其の時交換し合った、住所氏名と電話番号の事を思い出し、真夜中という事を忘れてしまい、電話していました。
高鳴る胸の私の耳に、「もしもし」の熊田様の懐かしい声に、「岐阜県羽島市の観音堂でお会いした加古でございます」と御挨拶をすれば、
「まあ・・・懐かしいですね」と、一生懸命に挨拶をして下さるのを制する様に、
「熊田さん・・・今絵を描いてお見えですね」と、お尋ねすれば、
「ハハイハ」とお答えになる熊田画伯に、
「仏様でございますね・・・それは杵築の磨崖仏ですね」と言えば、
「イヤァ・・・」と、奇妙な声を出された電話の熊田画伯の声に、妙な気分の私の口は、NHKのテレビを通して知らされ魅せられた、私の脳裏の奥に焼き付けられている天神界での昭和天皇の大喪の礼の光景を、熊田画伯にお話し申し上げ、
「絵の描けない私に代わり、描いては下さいませんか」と、お願いする私に熊田画伯は
「喜んで描かせて頂きます」と慎まし声で、一口に引き受けて下さいました。

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