再会

私(加古藤市)は、今にも飛び立ち行きそうな逸なる心を押し静め、熊田画伯の御都合に合わせ、四月六日の朝九時四十三分広島駅着の新幹線にて広島駅南大時計の下に待ち合わせ、積もる想いの語らいの内に、有っては成らない人類人間の悲劇、原爆慰霊碑に手を合わせ参拝していました。
熊田画伯は川の辺りに身を寄せられて、原爆投下直後の惨憺たる市内に、被爆者救済の日々を目に涙を滲ませ語も重き口元を震わせ話されたのです。
目の下を流れて行く川面に、今も助けを求めている被爆者の姿を見る様で、二人は口数も少なくバスに乗り、熊田様宅に急ぐのでございました。
私は、案内をされるがままに、熊田様宅に一歩足を踏み入れた途端に、「ァーァッ」と、声を上げた私は立ち竦み、
「熊田さん・・・此の絵は私が見た絵ではありませんか・・・。」「それなんです。私が杵築(うすき)の磨崖仏を絵描く事なぞ、加古さんに知らせてもいないのに、然も描きあげた絵を真夜中に起き出し直していた時に、加古さんからの電話です」
遠くに愛知県大府市から、私が広島の自宅で絵描いている絵の内容までも見透かしている摩訶不思議に、絵を描く事を引き受けてしまったのですが、
「幾ら絵が描けると言っても、見ていない光景を絵描くことが出来るのでありましょうか・・・」と、しみじみと話される熊田画伯でございました。
今も私の脳裏の奥に確りと絵描かれている光景を、私は三晩も泊めて頂き説明申し上げたのでございましたが、然しながら熊田氏は、
「これ程複雑多彩な光景では、とても私如き者には、絵描き切る事は出来ませんので、残念ですがお断りさせて下さいませ」と、言われて仕舞ったのです。
一瞬私の総身の血の流れが止まったかに思えた刹那、伊邪那身命のお言葉が走り、「熊田に描く気に成るだけ成って貰いなさい。後は神が描かせます」
私は此の伊邪那身命のお言葉を其の儘に、熊田画伯に伝えていました。熊田画伯は、
「神さまが描かせて下さるならば、慎んで描かせて頂きます」と言われ、終に描き上げられたのが「九条不戦神神との誓」の神画。世界平和の道標でございます。
テレビを通して見せて下さった映像と、夢の世界の中に聞く事が出来た説明に、真夜中に熊田画伯が広島で絵描かれる磨崖仏をお見せになり、熊田画伯を通して顕現に成られた此の神画が、日本中の神宮・神社・寺・個人宅へと数千枚以上奉納されたのでございます。更に、多くの方々の手によって世界中に奉納されました。
此の「九条不戦神神との誓」の神仏画が、世界平和の道標として、日本国の各地域に世界の国々に、広く伝えられて行く歳月の中に、度重ねてお伝え下さった神託を、私如き拙き者が皆さまにお伝えさせていただくのも、人間の我思想ではなく、食物の連鎖を以って創造された、大自然の営みに根差す風土に繋ぐ、永遠の弥栄の中に生き行く人間の福祉志合せの為に、お許し下さいませ。

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