九条不戦 神々との誓  添え書

世の中には不思議な神謀りと云う霊的な事も起こります。昭和六十三年八月八日、私は産土会として、世界平和救世大祈願の祭事を奈良生駒山で終え単独で九日、岐阜羽島、円空中観音堂に赴き円空佛を写生中 産土の大神を讃える愛知県大府市 加古藤市なる方と対面する。

その加古殿は、”汝速岐阜羽島に参るべし” の神のみ教えにより来た由をお話しされました。平成元年一月二十九日 加古殿に再び神のみ教えあり ”大喪の礼に 汝に見せるものあり 心して待つべし” と。

即ち加古殿は二月二十四日、テレビの前に座し、大喪の礼を一心に見守る内、画面が突如として純白(まっしろ)に変じるや否やで不思議な神秘的画面が写り始めたのです。大きな驚き感動と共に見入る加古殿の眼には、上部より太陽の光が眩しく光り輝き、片方より月光が淡い光を投げかけ、太陽の光と交叉する遥かに九条の幟(のぼり)がはためき、九体の宇宙の神々がおごそかに煌めく。その下には世界の大天使方、神佛の開祖・教組 古今の聖人方が現れ打ち揃う。その聖団の中より代表の尊き御方が前に出られ、葬場殿にて参拝終えし世界百六十三か国の代表使節一人ひとりと手を握り、神々固い不戦の誓を行う。代表使節は葬場殿より金色に輝くエスカレーターにより雲海の中を誓を終えゆっくり幄舎(あくしゃ)へと進まれる。聖なる太陽と月の光が交叉の位置は武蔵野陵墓地の屋根。その下は葬場殿となり、折しも黄幡(おうばん)・白幡(はくばん)と共に近づく葱華輦(そうかれん)にも、金 銀が散華の如く輝き乍ら降りかかる。それを見守る自衛官は既に銃を放棄しており、一般群衆がそれに続きそれぞれの頭上にも金 銀が優しく降り注ぐ。右下には、神々との誓を破った哀れな姿。核爆の煙は燃え上がり天界を汚して行く。生きとし生けるもの総てが滅び行く大地に黒い雨が呵責なく降りつける。

以上のテレビを見せられた加古殿は、遥かな九条の幟又九体の神、これぞ憲法第九条 神々の平和への御精神であり 深い御思慮の暗示であり、この誓は単なる人間同志 国相互の誓だけでなく、神々と地球人類との固い誓なるぞと気づかされたのです。

その加古殿に神は更に ”汝これを絵とせよ 世界に普遍すべし その絵が津々浦々に普遍がなされた時に地球は救われるであろう” とみ教えが下る。 神の御意志を広く伝える事の重い使命を受けた加古殿は 「私は絵も書も苦手、一体どなたかこの事を絵に仕上げて下さるまいか」と困り案じた時閃いたのは、昨年八月岐阜県羽島円空中観音堂で写生していた男(私)であり、またその時不思議にも遠く広島で石佛を描いている私を霊視出来た事。神の謀りか、その後広島駅で再会、共に平和公園慰霊碑参拝し、不思議なテレビ画面のお話しが私の脳裏に次第に焼き付けられ、煌めく光の神々を表現し得ぬ焦燥に苦しみ乍、絵の構成など無視、只管お話しを忠実に描かせて戴きました。拙い絵でございますが、大御神意(おおみこころ)をこの絵から理解され、不戦の誓と共に広く普遍し、核廃絶世界平和の御光がこの地球の森羅万象の上に輝き渡る日を心の底から願うものでございます。

 

奇しびなる神のみ教えを戴いた方  加古藤市

絵・添え書            熊田良雄